2008年04月17日
■ 辺縁

昨日、仕事仲間と飲みながら話をしていて思ったのは、自分は常に「辺縁」でありたいということだ。

中心ではなく、端っこ。
大通りではなく、路地。
都心ではなく、下町。
整然とした欧米ではなく、雑然としたアジア。
理系でも文系でもない何者か。

混沌としたカオス。
カオス理論では、カオスの縁という不安定な状態から大きな変化が生まれるという。
そんなどこにも属さない端っこにいて、不安定さを身にしみながら、次代をじっと見つめていく。
そんな生き方をしたいと思った。

2008年03月14日
■ 父の死

この世に生を受けてから、はじめての経験をした。
肉親の死だ。
2008年3月3日23時30分。
父は享年65歳だった。

胃がんの手術から4年弱。
手術のときにリンパへの転移が見つかり、その後は抗がん剤をつかった闘病生活を続けていた。それでも、根が陽気で強がりな父はめげることもなく、2月の上旬に入院した後も今年の夏祭りの心配をしていた。この入院の際に担当のドクターから最後通告を受けていたぼくは何ともやりきれない気持ちになったものだった。

もう先は長くはないからと、2月上旬の入院からわずか1週間ちょっとで退院。2月中旬の父の誕生日を祝おうと、関東一円に散らばっている家族が一同に会したのが2月24日の日曜日。体調悪そうに机に伏せることも多かったが、買ってきた麻婆豆腐300gをひとりでぺろりと平らげていた。まだまだ食べられた。

そんな父に変調があらわれたのは、それからわずか数日後のこと。誕生会の日曜日も歩くのはつらそうだったものの、まだまだ自分の足で歩けていた。それがまったく歩けないと連絡が入ったのだ。それから先は早かった。木曜、金曜の自宅での必死の介護の末、3月1日土曜の朝に再入院。これが最期の入院になることは父を除く誰もが分かっていた。

2日の夜を経て、3日の朝。
朝5時から2時間半ほど、父はぐっすりと寝た。
寝息は穏やかだった。
寝る直前、父はパジャマを脱ぎ、点滴を外そうとした。
どうしたのだろうと思い聞くと、かすれた声をふりしぼるように「着替える」と言い出す。
言葉をしゃべるのもしんどいだろうに、しっかりと聞き取れる口調で言う。
なんで着替えるのかと問うと、今度は「帰る」と言い出す。
もう少しここにいて元気になってからにしようと諭すように言うと、最後に一言。
「うるせー」

父は最後まで、気はしっかりしていた。自由奔放だった。
ここまで気がしっかりしているのだから、まだまだ1週間くらいは大丈夫かもしれないとも思った。

でも、その父はその日の晩に息を引き取った。
最期はあっけないものだった。

3日深夜に逝去。
4日には、たくさんの人が弔問に訪れてくれた。
5日、通夜。
6日、告別式。
翌日から休みに入ってしまうので7日の金曜日に役所への届け出等必要な手続きを全部済ませ、8日の土曜日には名簿整理。そして9日の日曜日に初七日。

思い起こせば、3月頭からの10日間ほど、周りの変化に気配りしている余裕もなかった。
はじめての経験ばかりで、気もはりつめまくっていた。
それがほっと一息つくと、凍てつくような寒さは消え、上野公園の入り口の早咲きの桜はすでに花をつけている。

告別式からもう一週間が経つが、体の奥底にこびりついた疲れはまだひどく残っている。
頭もぼーっとしたままだ。
肉親の死という極端な非日常。
そこから回復するには、少し時間がかかるかもしれない。

通夜・告別式には喪主として臨んだのだが、本当に色々なひとに助けられた。
精神的に支えてくれた人、分からないところをサポートしてくれた人、金銭的に助けられた人。
地縁・血縁といった人と人との密なつながりは得意ではなくむしろ回避していたのだが、こういう密なつながりこそがこういった極端な非日常のときに生きてくるのだと今回の一連の流れを通じて深く考えさせられた。

4月19日の四十九日が終わり、ほっとしたときに、自分の中で何かが変わっているかもしれない。

2007年12月16日
■ メガウェンディーズ

メガブームは止まるところを知らない。
「メガ」やら「デカ盛り」やらが、メディアでも頻繁に取り上げられる。ハンバーガー業界ではマクドナルドのみが謳歌しているようにみえたメガブームだが、ここに来て中堅のハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」も乗ってきたようだ。名付けて「スーパーメガウェンディーズ」。

昨日、新宿で忘年会があり、たまたま入った居酒屋の真ん前でウェンディーズが看板を出しているのを見て、ついつい食べてみたくなった。1個500円。飲み終わった後、ついつい衝動で買って帰ってしまった。

スーパーメガウェンディーズは、メガマックとは違う。
ウィンディーズのハンバーガーパテはマクドナルドとは違い、以前から新鮮さや味を誇っている。実際、食べてみると、肉にマクドナルドのようなぱさぱさ感はなく、しっとりしていておいしい。もちろんその分、値はあるのだが、マクドナルドとウェンディーズがあれば、ぼくは迷わずウェンディーズに入る。そのくらいの味の違いはあるわけだが、メガになっても、それは変わらない。マクドナルドの「メガ」は、正直言って味気ない。メガマックにせよ、メガてりやきにせよ、メガたまごにせよ、ただ単に従来のビッグマック、てりやきマックバーガー、月見バーガーを厚くしたというだけで、ぱさぱさした肉の歯ごたえがその分増しているだけなのだ。新鮮な感動がない。それに対して、スーパーメガウェンディーズはステーキ屋で分厚いステーキを食べたような感動がある。パンの間にはさまった肉は分厚く、ジューシーで、とにかく肉の味がするのだ!

そんなスーパーメガウェンディーズも欠点がある。1個で900キロカロリーくらいあるらしい。それだけを食べるのは百歩譲ってよしとしても、べろんべろんに酔っぱらった状態で食べるのはもしかしたら難があるかもしれない。ダイエットの敵、メタボの友達。それがスーパーメガウェンディーズなのだ。

ウェンディーズがこんなことをやるなんて珍しいと思って調べてみると、いつの間にやらウェンディーズはゼンショーグループに入っているらしい。ゼンショーといえば、すきやのメガ牛丼。なるほどと納得した。

メガたまご、メガとまと、テラ豚丼、そしてスーパーメガウェンディーズ。
世界はメガであふれている。

2007年12月15日
■ アキバのヤマダ

小学生の頃、母親に秋葉原に連れてこられたことがある。
当時普及をしはじめた電子レンジと、ジュースミキサーを買うためだ。それまで秋葉原には足を踏みいれたことはなかった(正確に言うと、小さな頃に交通博物館に連れて行ってもらったことはある)が、噂ではたくさん聞いていた。日本最大の電気の街。電気製品がなんでもそろっている。しかも、安い。当時テレビのゴールデンタイムには、石丸電気やサトームセンなど、秋葉原に本拠をおく電気店のCMがひっきりなしに流れていた。

それから30年弱。
一世を風靡した巨大小売店は、いまやまったく勢いをなくしてしまった。サトームセンもオノデンも、秋葉原の名主とも言われていたらしいラオックスも、表通りにはまったく看板を見なくなった。その中で勢力を広げてきているのが、秋葉原駅をはさんで中央通りの北側に店舗をはりめぐらす青い看板のソフマップと、同じく中央通りの南側に多数店舗をかまえる石丸電気だ。とはいえ、両者ともすでにかつてのソフマップ、かつての石丸ではない。ソフマップはビックカメラグループとなっているし、石丸電気はエディオングループとなっている。

現在の家電量販店の売上高でベスト5に入るのが、ヤマダ電機、ヨドバシカメラ、コジマ、ビックカメラ、エディオンである。うち、数年前に本社機能をもつ旗艦店をひっさげて秋葉原に進出したヨドバシカメラは圧倒的な存在感を示し、いまやアキバのシンボル的な存在にまでなっている。ヨドバシオープン後には、ヨドバシvs秋葉原電気街という図式が見て取れたが、その後の再編を経て、いまや秋葉原はヨドバシカメラvsビックカメラvsエディオンという、巨大量販店どうしの仁義なき戦いの場となっている。

そんな秋葉原に昨日、殴り込みをかけるかのようにオープンしたのが、駅前のヤマダ電機だった。
アキバにいながら、アキバ動向に疎かったようで、ヤマダがオープンするなど、昨日までまったく知らなかった。ただ、夕方にオフィスを出て色々なものを物色しようと近所のソフマップに入ってみたところ、異様な雰囲気を感じたのだった。ビックカメラグループとはいえ、ビックカメラ本体のようにがつがつしたポイント商法を、ソフマップは長いことしていなかった。ポイント還元したとしてもせいぜい5%とかそんなものだったのだが、昨日は「他店対抗20%ポイント還元」という文字が値札に躍っていた。安くなるのはうれしいことだが、この時点では何が起こっているのかまったく分からなかった。

それでは石丸に行ってみようと、石丸の本店に行ってみると、同じように他店対抗の値札が出ている。ヨドバシが何かやってるのかと思い、ヨドバシにでも行ってみようと、今度は秋葉原駅前に足を向けた。すると、秋葉原の駅前、いつもメイドさんがビラを配っているあたりに、見慣れない店ができている。しかし、そのロゴはよく見る。テレビのCMでおなじみのヤマダ電機だ。一瞬、目を疑ったが、納得した。なるほど。自分が知らないうちに、アキバにヤマダができていたのだ。ソフマップや石丸で感じた異様な雰囲気は、まさに「ヤマダ対抗」だったわけだ。

入ってみると、昨日オープンだったこともあり、店内はものすごい熱気だ。オープン記念セールで、かなり安い値段で色々なものが売られている。デジカメ、パソコン……。あとで価格コムの値段と比較してみたのだが、まったく遜色のない値段で売られているものも多数あり、中にはポイント還元で購入した場合、価格コムの値段よりも大幅に安いものも多々あった。

ヨドバシ、ビック、エディオンに続いて、とうとうヤマダもアキバにやってきた。
さらなる仁義なき闘い。

ヨドバシは「新宿西口駅の前♪」だった。
ビックカメラは「高くそびえるサンシャイン♪」だった。
ヤマダは埼玉のぼくの田舎の方でこそ昔からあったが、田舎にちょっとした勢力をもつ電気屋さんだった。
電気街の本丸だった秋葉原は衰退し、外様にどんどん攻め込まれている。店の個性、街の個性って何なのだろうと、ちょっと寂しい思いをした週末だった。

2007年10月29日
■ 250万円で何が買えるか?

250万円で何が買えるのだろうか?

赤坂のアメリカ大使館にほど近いホテルオークラの宿泊料が、いちばん安価な部屋の定価ベースで3万5千円だそうだ。250万円でおよそ70日宿泊可能となる。

不動産サイトを調べたところ、アメリカ大使館の最寄り駅溜池山王周辺で1LDKの1ヶ月の賃料が25万円。250万円あれば、1年間住むことができる。

溜池山王駅に直結していてNTTドコモの本社が入っている高層ビル、山王パークタワー。あれだけのビルになると、賃貸料の坪単価は周辺の小規模ビルの2倍以上となるので、どう安く見積もっても坪3万円をくだらない。250万円あれば、80坪の部屋を1ヶ月借りることができる。うちのオフィスが20坪なので、80坪といえば中規模オフィスといったところか。

兵器の値段でいうと、アメリカのM1戦車に搭載されている劣化ウラン徹甲弾が1発で5000ドルするそうだ。1ドル=120円とすると、およそ60万円。250万円あれば、4発撃てる。

ミサイルはよく分からないが、「AAM-4 ファルコン空対空ミサイル セミアクティブレーダー誘導型」というものが一発1万ドルするそうだ。250万円で2発撃てる。

今朝の朝日新聞をみると、「米大使館 地代10年滞納」という記事がトップに載っていた。
赤坂の国有地を年額250万円で貸していたそうだが、10年前に値上げ交渉をしたところ交渉は決裂し、それから滞納が続いているそうである。赤坂で年額250万円という値段にも驚くが、テナントのアメリカさんは果たして支払能力がないのだろうか。どの顔で居座ろうとしているのか。

世界最凶のテロ国家は民暴以上にタチが悪い。

2007年10月28日
■ 冷蔵庫にふと思ったこと

冷蔵庫を買い換えようと考えたのは今年の夏のことだった。
上に電子レンジを置いているために目立つことはないが、電子レンジをどかしてみると、常時1mmくらいの厚さの水の層ができている。結露しているのだ。常時冷えている冷蔵庫に水滴が見られるとなると、これはやばいかもしれない。部屋の模様替えで冷蔵庫の横を居住空間にしたところ、冷蔵庫の音や振動が気になるようになってきたし、そろそろ買い換え時かもしれないと思ったのだった。

思い出してみると、この冷蔵庫との付き合いは古い。
1988年。バブルのまっただ中でまさに昭和が終わろうとしていた、そして共通一次もセンター試験に衣替えしようとしていた年に大学に入学し、生まれてはじめての一人暮らしをはじめた。そのときに小さな冷蔵庫を買ったのだが、その後の2回の引っ越しを経て、5年も経たないうちに使い物にならなくなってしまった。引っ越しを友人に頼んで行ったために、冷蔵庫の取り扱いに失敗し、フロンガスが抜けてしまったのかもしれない。仕方がないので、大阪の阪急池田駅前にあるダイエー(今は存在しているかどうか分からないが)に行き、買い求めたのがいま自宅のキッチン横に鎮座している、小さな白い冷蔵庫だ。メーカーはColtina。聞いたことのないメーカーだ。学生生活の間だけもてばいいくらいの気持ちで、お金もなかったし一番安いものを買い求めたのだが、これがことのほか丈夫で15年たった今でも元気に動いている。

さて、買い換えるとなると、値段が気になる。夏以降、液晶テレビ、デスクトップの自作パソコン、エアコン、掃除機、ソファと、立て続けに出費をし続けたので、大きな出費は控えたい。そこでまずアキバのヨドバシに行って調べたみたのだが、思ったよりも高い。冷凍庫と冷蔵庫が2つに分かれた120リットルくらいの小型冷蔵庫で配送料込みで4万近くする。現在使用中の冷蔵庫を廃家電として引き取ってもらうとなると、それにプラス5000円だ。冷蔵庫に5万弱。3万くらいをメドに考えていたため、ちょっと予算オーバーだ。

そんな中、救世主が現れた。今月26日からはじまったアキバの石丸電気のリニューアルセールだ。11月頭までオープン記念セールとして、シャープ製の小型冷蔵庫が2万6千円くらいで売り出されている。家電小売店の競争はおもしろいもので、石丸がセールを始めるのと同じタイミングで各量販店がこぞって値下げをはじめた。アキバのソフマップ(新しくできた店は家電店になってしまった……)でも同じ型の冷蔵庫が2万6千円。近所のコジマでも2万6千円だ。試しに、近所のケーズデンキに行ってみたところ、同じ型の冷蔵庫が配送料込みの2万5千円で売っているのではないか! リサイクル料金が5380円なので、試しにリサイクル料金込みでジャスト3万円にならないか交渉してみたところ、すんなり通った。というわけで、近所のケーズデンキで冷蔵庫を買うことにした。

ここで小さな問題が発生する。
家電リサイクル料金の5380円というのは、日本メーカー製の冷蔵庫を引き取る場合にのみ適用される料金らしいのだ。ダイエーのプライベートブランドのColtinaとなると、どこのメーカー製かも分からない。だから、この料金よりもリサイクル料金がかかるというのだ。それも、料金がいくらかかるかというのは回収業者による徴収になるので、回収の日にならないと分からないという。そんな馬鹿なことはない。リサイクル料金で5380円かかるというのは冷蔵庫売り場に大きく表示されているが、日本メーカーに限るなどということはどこにも記されていない。家電リサイクル法が施行されたときも、そんな話、聞いたこともない。そして、購入時点でリサイクル料金がいくらかかるか分からないなんて、そんなふざけた話はない。店頭でごねたところ、担当者が問合わせてくれたらしく、リサイクル料金は6100円だということが分かり、その場でプラス分を支払い、話はどうにか収まった。しかし、日本メーカーに限るリサイクル料金というのは腑に落ちない。中国のハイアールやアメリカのGE製の家電を最近では量販店で見かけるが、それらを買うときにはきちんと注意事項として語られるのあろうか?

腑に落ちないながらも、安く冷蔵庫を買えたことに満足し、ケーズデンキから自宅に自転車で帰路につく。途中にある首都大学東京荒川キャンパスの前を通ると、中からやかましいバンドのがなりたてる音楽が聞こえてきた。校門が開け放たれ、活気づいているこの雰囲気。何か懐かしい。学園祭をやっているようだ。校門横に自転車をとめ、ふらりと寄ってみることにする。

手作りの看板。手作りのパンフレット。焼きそばやら焼き鳥やら、安っぽいものばかりが売られており、100円・200円の商売をしているのだが、やっている側はむちゃくちゃ楽しそう。自分のいまの仕事や生活をみてみると、クオリティを求められる印刷やデザインなどは金を出して外注するし、お金を出して食べられるおいしいものはたくさん知っている。これはこれですばらしいことなのだが、こういう小さな手作り感覚の楽しみというのもいいよなーなどと、学祭の盛り上がりを見ていると感じ入ってしまう。ノスタルジーにひたるなんて、感性がおじさんになってきたのかもしれない。

学生時代から使い続けてきた冷蔵庫は火曜日にうちを去ってゆく。
ただ単に冷蔵庫を買い換えたかっただけなのだが、大学祭に立ち寄ったことで、変に感傷にひたってしまった。たかが古い冷蔵庫から、学生時代のバカで世間知らずだった頃の、ひとにたくさん迷惑をかけた頃のことを思い出してしまった。

家に帰り、サークルボックスのあった明道館がどうなっているのか気になって、ふと検索してみた。ぼくらが在籍した当時、ぼろぼろでどうしようもなかった建物。立て替えの話が出てきては消えているが、いい加減もう存在しないだろうと思っていたのだが、見事にまだ現役で存在しているようだ。変わらないものは変わらないのだと、感心してしまった。

時は流れる。
自分は老いる。
自分の歩んできた道は
あとから歩む者のためのけものみちとなる。

時代は変わる。
それでも
変わらず姿をとどめるものはある。
それを残すために
それを伝えるために
何をするかが
いま歩んでいるぼくらの使命なのかもしれない。

変わらないものを変わらないものとして残すために
ぼくらは変わらなければならないのかもしれない。

2007年09月29日
■ ミャンマー

1989年。1月7日早朝に昭和天皇が亡くなり昭和が終わったこの年、ぼくは二十歳だった。国全体が喪に服す感じで、国内には全体主義的でいやな動きを感じた(ただ、昭和天皇の葬儀「大喪の礼」は休日となったので、うれしかった)が、いざヨーロッパに目を転じてみると、夏頃から激動ともいえる動きがあった。東欧の民主化だ。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一ばかりがこの当時の出来事として取り上げられるが、同時代を生きた身としては、それ以外にも毎日新聞やテレビを目にするごとに刻々と政治体制が変わっていく東欧の状況は、見ていて鳥肌ものだった。時代はこうして動くのかと、身にしみて感じた。最初は小さな動きだったものが、呼応する者たちが集まる中でやがては怒濤のうねりへと転化していく。それが20世紀終わりの頃のヨーロッパだった。

いまテレビや新聞を見ていると、ミャンマーの動きが取り上げられている。
仏教僧によるデモは1週間ほど前から見かけるようになったが、一昨日の日本人殺害を機に国内での注目は俄然大きくなってきたように感じる。最初はぼくも「坊さんがデモしてるから、珍しさで取り上げられているのか」と思っていたが、ここ数日ミャンマーの現実が事細かに取り上げられるようになると、どうも違うと感じるようになってきた。もしかしたら、これは大きな動きなのかもしれないぞ。

知ってのとおり、ミャンマーは「ビルマ」だ。
「ビルマの竪琴」で取り上げられた地であり、太平洋戦争中には日本軍が大挙して押し寄せていた地でもある。そのビルマが1988年の軍事クーデターで軍事政権の国となり、国名を「ミャンマー」と変えた。以来、19年の間、軍事独裁を続けており、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スーチーさんなどはヤンゴン(昔はラングーンと言った町)で軟禁生活を送っている。

北朝鮮なみかどうかは分からないが、軍事政権である以上、公平に民意など反映されるわけがない。軍部上層部がどんどんと私腹をこやしていく姿は、人々が見ていてとてもおもしろいものではなかっただろう。かといって、選挙のように民意を反映するシステムがない以上、どうしようもない。ちょっとでも逆らおうものなら、軍部に目をつけられて、下手をするとその場で殺されかねない。そんな恐怖政治の中にあったこの国で、人々が立ち上がった。

仏教僧による抗議活動からはじまったものが、一般の人々もまきこみ、ヤンゴンでのデモは日に日に勢いを増しているようである。そして、そんな中、人が殺された。圧政に抗議し、ただ自分たちは平和的に訴えていただけなのに、武器をもった支配者の手先にひとり、またひとりとなぎ倒されていった。

この状況を日本はどう考えるのだろうか?
ミャンマーへの援助額は、日本が一位であると聞く(援助されたものが、現地のひとのために使われているかどうかあやしいとこだが)。しかし、肝心の政府首脳は福田首相をはじめとして、誰も行動を起こそうとしない。経済制裁を決めれば影響力は多いだろうに、まったく動こうとしていない。アジアの中の一因であるにもかかわらず、経済的に大きな影響力をもっているにもかかわらず、動こうとしない。最近の日本は対米追従で国際的にはまったく顔が見えなくなっているのに、さらに顔を見せようとしない。せっかくの機会なのに、何をやっているのだろう……。

しかし、日本が動こうが動くまいが、確実に時代は動くだろう。

1975年に戦争が終結したベトナムは、それから30年たった今では日本人旅行者が安心して訪れる国になっている。インフラも整い、かつては「秘境」に近い国だったが、最近では格安のパックツアーも数多く見られるようになってきている。

1991年に内戦が終結したカンボジアは、それから15年がたち、徐々に日本人観光客も増えてきている。プノンペンやアンコールワットの観光パックツアーも最近では見かけるようになってきた。

そして、ミャンマー。

圧政や混乱が続いていた東南アジアの国々がどんどんと方向転換してきている。
元々は多くの言語と多くの民族と多種多彩な自然をもつ、すばらしい地域だ。60年前の「大東亜共栄圏」ではないが、この地域が互いに手をとってやっていけたら、どんなにすばらしいだろうと思う。今回のミャンマーの動きが、近い将来のステキなアジアにつながることを夢見ている。