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2008年03月14日

 ■ 父の死

この世に生を受けてから、はじめての経験をした。
肉親の死だ。
2008年3月3日23時30分。
父は享年65歳だった。

胃がんの手術から4年弱。
手術のときにリンパへの転移が見つかり、その後は抗がん剤をつかった闘病生活を続けていた。それでも、根が陽気で強がりな父はめげることもなく、2月の上旬に入院した後も今年の夏祭りの心配をしていた。この入院の際に担当のドクターから最後通告を受けていたぼくは何ともやりきれない気持ちになったものだった。

もう先は長くはないからと、2月上旬の入院からわずか1週間ちょっとで退院。2月中旬の父の誕生日を祝おうと、関東一円に散らばっている家族が一同に会したのが2月24日の日曜日。体調悪そうに机に伏せることも多かったが、買ってきた麻婆豆腐300gをひとりでぺろりと平らげていた。まだまだ食べられた。

そんな父に変調があらわれたのは、それからわずか数日後のこと。誕生会の日曜日も歩くのはつらそうだったものの、まだまだ自分の足で歩けていた。それがまったく歩けないと連絡が入ったのだ。それから先は早かった。木曜、金曜の自宅での必死の介護の末、3月1日土曜の朝に再入院。これが最期の入院になることは父を除く誰もが分かっていた。

2日の夜を経て、3日の朝。
朝5時から2時間半ほど、父はぐっすりと寝た。
寝息は穏やかだった。
寝る直前、父はパジャマを脱ぎ、点滴を外そうとした。
どうしたのだろうと思い聞くと、かすれた声をふりしぼるように「着替える」と言い出す。
言葉をしゃべるのもしんどいだろうに、しっかりと聞き取れる口調で言う。
なんで着替えるのかと問うと、今度は「帰る」と言い出す。
もう少しここにいて元気になってからにしようと諭すように言うと、最後に一言。
「うるせー」

父は最後まで、気はしっかりしていた。自由奔放だった。
ここまで気がしっかりしているのだから、まだまだ1週間くらいは大丈夫かもしれないとも思った。

でも、その父はその日の晩に息を引き取った。
最期はあっけないものだった。

3日深夜に逝去。
4日には、たくさんの人が弔問に訪れてくれた。
5日、通夜。
6日、告別式。
翌日から休みに入ってしまうので7日の金曜日に役所への届け出等必要な手続きを全部済ませ、8日の土曜日には名簿整理。そして9日の日曜日に初七日。

思い起こせば、3月頭からの10日間ほど、周りの変化に気配りしている余裕もなかった。
はじめての経験ばかりで、気もはりつめまくっていた。
それがほっと一息つくと、凍てつくような寒さは消え、上野公園の入り口の早咲きの桜はすでに花をつけている。

告別式からもう一週間が経つが、体の奥底にこびりついた疲れはまだひどく残っている。
頭もぼーっとしたままだ。
肉親の死という極端な非日常。
そこから回復するには、少し時間がかかるかもしれない。

通夜・告別式には喪主として臨んだのだが、本当に色々なひとに助けられた。
精神的に支えてくれた人、分からないところをサポートしてくれた人、金銭的に助けられた人。
地縁・血縁といった人と人との密なつながりは得意ではなくむしろ回避していたのだが、こういう密なつながりこそがこういった極端な非日常のときに生きてくるのだと今回の一連の流れを通じて深く考えさせられた。

4月19日の四十九日が終わり、ほっとしたときに、自分の中で何かが変わっているかもしれない。

投稿者 watata : 2008年03月14日 20:13

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コメント

お悔やみ申し上げます。

投稿者 xyz : 2008年03月16日 21:15

4月19日は御自身の御誕生日でもありますね。

とある漫画で、「残された者が幸せに生きていれば
逝ったものは安心」という台詞がありました。
私的には、とても感慨深いものがありました。

とても余計なことですが、一緒に行かれた方と
幸せになるのも一つの供養かも知れません。
(あくまでも私的な意見ですので、気分を
 害されませんよう)


投稿者 xyz : 2008年03月16日 21:34

先日お会いした時には既に大変な状況だったのですね。
そんなことはおくびにも出さず、笑顔でお付き合いいただいて
本当にありがとうございました。改めて感謝、です。

お父様のご冥福をお祈りします。

投稿者 かとう : 2008年03月17日 22:26

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