昨日、仕事仲間と飲みながら話をしていて思ったのは、自分は常に「辺縁」でありたいということだ。
中心ではなく、端っこ。
大通りではなく、路地。
都心ではなく、下町。
整然とした欧米ではなく、雑然としたアジア。
理系でも文系でもない何者か。
混沌としたカオス。
カオス理論では、カオスの縁という不安定な状態から大きな変化が生まれるという。
そんなどこにも属さない端っこにいて、不安定さを身にしみながら、次代をじっと見つめていく。
そんな生き方をしたいと思った。
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この世に生を受けてから、はじめての経験をした。
肉親の死だ。
2008年3月3日23時30分。
父は享年65歳だった。
胃がんの手術から4年弱。
手術のときにリンパへの転移が見つかり、その後は抗がん剤をつかった闘病生活を続けていた。それでも、根が陽気で強がりな父はめげることもなく、2月の上旬に入院した後も今年の夏祭りの心配をしていた。この入院の際に担当のドクターから最後通告を受けていたぼくは何ともやりきれない気持ちになったものだった。
もう先は長くはないからと、2月上旬の入院からわずか1週間ちょっとで退院。2月中旬の父の誕生日を祝おうと、関東一円に散らばっている家族が一同に会したのが2月24日の日曜日。体調悪そうに机に伏せることも多かったが、買ってきた麻婆豆腐300gをひとりでぺろりと平らげていた。まだまだ食べられた。
そんな父に変調があらわれたのは、それからわずか数日後のこと。誕生会の日曜日も歩くのはつらそうだったものの、まだまだ自分の足で歩けていた。それがまったく歩けないと連絡が入ったのだ。それから先は早かった。木曜、金曜の自宅での必死の介護の末、3月1日土曜の朝に再入院。これが最期の入院になることは父を除く誰もが分かっていた。
2日の夜を経て、3日の朝。
朝5時から2時間半ほど、父はぐっすりと寝た。
寝息は穏やかだった。
寝る直前、父はパジャマを脱ぎ、点滴を外そうとした。
どうしたのだろうと思い聞くと、かすれた声をふりしぼるように「着替える」と言い出す。
言葉をしゃべるのもしんどいだろうに、しっかりと聞き取れる口調で言う。
なんで着替えるのかと問うと、今度は「帰る」と言い出す。
もう少しここにいて元気になってからにしようと諭すように言うと、最後に一言。
「うるせー」
父は最後まで、気はしっかりしていた。自由奔放だった。
ここまで気がしっかりしているのだから、まだまだ1週間くらいは大丈夫かもしれないとも思った。
でも、その父はその日の晩に息を引き取った。
最期はあっけないものだった。
3日深夜に逝去。
4日には、たくさんの人が弔問に訪れてくれた。
5日、通夜。
6日、告別式。
翌日から休みに入ってしまうので7日の金曜日に役所への届け出等必要な手続きを全部済ませ、8日の土曜日には名簿整理。そして9日の日曜日に初七日。
思い起こせば、3月頭からの10日間ほど、周りの変化に気配りしている余裕もなかった。
はじめての経験ばかりで、気もはりつめまくっていた。
それがほっと一息つくと、凍てつくような寒さは消え、上野公園の入り口の早咲きの桜はすでに花をつけている。
告別式からもう一週間が経つが、体の奥底にこびりついた疲れはまだひどく残っている。
頭もぼーっとしたままだ。
肉親の死という極端な非日常。
そこから回復するには、少し時間がかかるかもしれない。
通夜・告別式には喪主として臨んだのだが、本当に色々なひとに助けられた。
精神的に支えてくれた人、分からないところをサポートしてくれた人、金銭的に助けられた人。
地縁・血縁といった人と人との密なつながりは得意ではなくむしろ回避していたのだが、こういう密なつながりこそがこういった極端な非日常のときに生きてくるのだと今回の一連の流れを通じて深く考えさせられた。
4月19日の四十九日が終わり、ほっとしたときに、自分の中で何かが変わっているかもしれない。
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メガブームは止まるところを知らない。
「メガ」やら「デカ盛り」やらが、メディアでも頻繁に取り上げられる。ハンバーガー業界ではマクドナルドのみが謳歌しているようにみえたメガブームだが、ここに来て中堅のハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」も乗ってきたようだ。名付けて「スーパーメガウェンディーズ」。
昨日、新宿で忘年会があり、たまたま入った居酒屋の真ん前でウェンディーズが看板を出しているのを見て、ついつい食べてみたくなった。1個500円。飲み終わった後、ついつい衝動で買って帰ってしまった。
スーパーメガウェンディーズは、メガマックとは違う。
ウィンディーズのハンバーガーパテはマクドナルドとは違い、以前から新鮮さや味を誇っている。実際、食べてみると、肉にマクドナルドのようなぱさぱさ感はなく、しっとりしていておいしい。もちろんその分、値はあるのだが、マクドナルドとウェンディーズがあれば、ぼくは迷わずウェンディーズに入る。そのくらいの味の違いはあるわけだが、メガになっても、それは変わらない。マクドナルドの「メガ」は、正直言って味気ない。メガマックにせよ、メガてりやきにせよ、メガたまごにせよ、ただ単に従来のビッグマック、てりやきマックバーガー、月見バーガーを厚くしたというだけで、ぱさぱさした肉の歯ごたえがその分増しているだけなのだ。新鮮な感動がない。それに対して、スーパーメガウェンディーズはステーキ屋で分厚いステーキを食べたような感動がある。パンの間にはさまった肉は分厚く、ジューシーで、とにかく肉の味がするのだ!
そんなスーパーメガウェンディーズも欠点がある。1個で900キロカロリーくらいあるらしい。それだけを食べるのは百歩譲ってよしとしても、べろんべろんに酔っぱらった状態で食べるのはもしかしたら難があるかもしれない。ダイエットの敵、メタボの友達。それがスーパーメガウェンディーズなのだ。
ウェンディーズがこんなことをやるなんて珍しいと思って調べてみると、いつの間にやらウェンディーズはゼンショーグループに入っているらしい。ゼンショーといえば、すきやのメガ牛丼。なるほどと納得した。
メガたまご、メガとまと、テラ豚丼、そしてスーパーメガウェンディーズ。
世界はメガであふれている。
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250万円で何が買えるのだろうか?
赤坂のアメリカ大使館にほど近いホテルオークラの宿泊料が、いちばん安価な部屋の定価ベースで3万5千円だそうだ。250万円でおよそ70日宿泊可能となる。
不動産サイトを調べたところ、アメリカ大使館の最寄り駅溜池山王周辺で1LDKの1ヶ月の賃料が25万円。250万円あれば、1年間住むことができる。
溜池山王駅に直結していてNTTドコモの本社が入っている高層ビル、山王パークタワー。あれだけのビルになると、賃貸料の坪単価は周辺の小規模ビルの2倍以上となるので、どう安く見積もっても坪3万円をくだらない。250万円あれば、80坪の部屋を1ヶ月借りることができる。うちのオフィスが20坪なので、80坪といえば中規模オフィスといったところか。
兵器の値段でいうと、アメリカのM1戦車に搭載されている劣化ウラン徹甲弾が1発で5000ドルするそうだ。1ドル=120円とすると、およそ60万円。250万円あれば、4発撃てる。
ミサイルはよく分からないが、「AAM-4 ファルコン空対空ミサイル セミアクティブレーダー誘導型」というものが一発1万ドルするそうだ。250万円で2発撃てる。
今朝の朝日新聞をみると、「米大使館 地代10年滞納」という記事がトップに載っていた。
赤坂の国有地を年額250万円で貸していたそうだが、10年前に値上げ交渉をしたところ交渉は決裂し、それから滞納が続いているそうである。赤坂で年額250万円という値段にも驚くが、テナントのアメリカさんは果たして支払能力がないのだろうか。どの顔で居座ろうとしているのか。
世界最凶のテロ国家は民暴以上にタチが悪い。
投稿時間 : 07:52 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
冷蔵庫を買い換えようと考えたのは今年の夏のことだった。
上に電子レンジを置いているために目立つことはないが、電子レンジをどかしてみると、常時1mmくらいの厚さの水の層ができている。結露しているのだ。常時冷えている冷蔵庫に水滴が見られるとなると、これはやばいかもしれない。部屋の模様替えで冷蔵庫の横を居住空間にしたところ、冷蔵庫の音や振動が気になるようになってきたし、そろそろ買い換え時かもしれないと思ったのだった。
思い出してみると、この冷蔵庫との付き合いは古い。
1988年。バブルのまっただ中でまさに昭和が終わろうとしていた、そして共通一次もセンター試験に衣替えしようとしていた年に大学に入学し、生まれてはじめての一人暮らしをはじめた。そのときに小さな冷蔵庫を買ったのだが、その後の2回の引っ越しを経て、5年も経たないうちに使い物にならなくなってしまった。引っ越しを友人に頼んで行ったために、冷蔵庫の取り扱いに失敗し、フロンガスが抜けてしまったのかもしれない。仕方がないので、大阪の阪急池田駅前にあるダイエー(今は存在しているかどうか分からないが)に行き、買い求めたのがいま自宅のキッチン横に鎮座している、小さな白い冷蔵庫だ。メーカーはColtina。聞いたことのないメーカーだ。学生生活の間だけもてばいいくらいの気持ちで、お金もなかったし一番安いものを買い求めたのだが、これがことのほか丈夫で15年たった今でも元気に動いている。
さて、買い換えるとなると、値段が気になる。夏以降、液晶テレビ、デスクトップの自作パソコン、エアコン、掃除機、ソファと、立て続けに出費をし続けたので、大きな出費は控えたい。そこでまずアキバのヨドバシに行って調べたみたのだが、思ったよりも高い。冷凍庫と冷蔵庫が2つに分かれた120リットルくらいの小型冷蔵庫で配送料込みで4万近くする。現在使用中の冷蔵庫を廃家電として引き取ってもらうとなると、それにプラス5000円だ。冷蔵庫に5万弱。3万くらいをメドに考えていたため、ちょっと予算オーバーだ。
そんな中、救世主が現れた。今月26日からはじまったアキバの石丸電気のリニューアルセールだ。11月頭までオープン記念セールとして、シャープ製の小型冷蔵庫が2万6千円くらいで売り出されている。家電小売店の競争はおもしろいもので、石丸がセールを始めるのと同じタイミングで各量販店がこぞって値下げをはじめた。アキバのソフマップ(新しくできた店は家電店になってしまった……)でも同じ型の冷蔵庫が2万6千円。近所のコジマでも2万6千円だ。試しに、近所のケーズデンキに行ってみたところ、同じ型の冷蔵庫が配送料込みの2万5千円で売っているのではないか! リサイクル料金が5380円なので、試しにリサイクル料金込みでジャスト3万円にならないか交渉してみたところ、すんなり通った。というわけで、近所のケーズデンキで冷蔵庫を買うことにした。
ここで小さな問題が発生する。
家電リサイクル料金の5380円というのは、日本メーカー製の冷蔵庫を引き取る場合にのみ適用される料金らしいのだ。ダイエーのプライベートブランドのColtinaとなると、どこのメーカー製かも分からない。だから、この料金よりもリサイクル料金がかかるというのだ。それも、料金がいくらかかるかというのは回収業者による徴収になるので、回収の日にならないと分からないという。そんな馬鹿なことはない。リサイクル料金で5380円かかるというのは冷蔵庫売り場に大きく表示されているが、日本メーカーに限るなどということはどこにも記されていない。家電リサイクル法が施行されたときも、そんな話、聞いたこともない。そして、購入時点でリサイクル料金がいくらかかるか分からないなんて、そんなふざけた話はない。店頭でごねたところ、担当者が問合わせてくれたらしく、リサイクル料金は6100円だということが分かり、その場でプラス分を支払い、話はどうにか収まった。しかし、日本メーカーに限るリサイクル料金というのは腑に落ちない。中国のハイアールやアメリカのGE製の家電を最近では量販店で見かけるが、それらを買うときにはきちんと注意事項として語られるのあろうか?
腑に落ちないながらも、安く冷蔵庫を買えたことに満足し、ケーズデンキから自宅に自転車で帰路につく。途中にある首都大学東京荒川キャンパスの前を通ると、中からやかましいバンドのがなりたてる音楽が聞こえてきた。校門が開け放たれ、活気づいているこの雰囲気。何か懐かしい。学園祭をやっているようだ。校門横に自転車をとめ、ふらりと寄ってみることにする。
手作りの看板。手作りのパンフレット。焼きそばやら焼き鳥やら、安っぽいものばかりが売られており、100円・200円の商売をしているのだが、やっている側はむちゃくちゃ楽しそう。自分のいまの仕事や生活をみてみると、クオリティを求められる印刷やデザインなどは金を出して外注するし、お金を出して食べられるおいしいものはたくさん知っている。これはこれですばらしいことなのだが、こういう小さな手作り感覚の楽しみというのもいいよなーなどと、学祭の盛り上がりを見ていると感じ入ってしまう。ノスタルジーにひたるなんて、感性がおじさんになってきたのかもしれない。
学生時代から使い続けてきた冷蔵庫は火曜日にうちを去ってゆく。
ただ単に冷蔵庫を買い換えたかっただけなのだが、大学祭に立ち寄ったことで、変に感傷にひたってしまった。たかが古い冷蔵庫から、学生時代のバカで世間知らずだった頃の、ひとにたくさん迷惑をかけた頃のことを思い出してしまった。
家に帰り、サークルボックスのあった明道館がどうなっているのか気になって、ふと検索してみた。ぼくらが在籍した当時、ぼろぼろでどうしようもなかった建物。立て替えの話が出てきては消えているが、いい加減もう存在しないだろうと思っていたのだが、見事にまだ現役で存在しているようだ。変わらないものは変わらないのだと、感心してしまった。
時は流れる。
自分は老いる。
自分の歩んできた道は
あとから歩む者のためのけものみちとなる。
時代は変わる。
それでも
変わらず姿をとどめるものはある。
それを残すために
それを伝えるために
何をするかが
いま歩んでいるぼくらの使命なのかもしれない。
変わらないものを変わらないものとして残すために
ぼくらは変わらなければならないのかもしれない。
投稿時間 : 14:45 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
ぽかぽか陽気の昼休み。
オフィスの真裏の神田明神にふらりと行くと、たくさんの人で賑わっていました。
「千代田のさくらまつり」
神田明神をぐるりと囲むように立ちつくす数々のソメイヨシノの木々は見事なまでに淡いピンクの花びらで覆い尽くされていました。

寒空の下、初詣客で賑わう神田明神もいいですし、最高に寒い中、節分の豆まきで賑わうこの境内も好きですが、やはり一番好きなのはこの時期のこの神社です。うっすらとした桜の花に本殿も映えて見えます。

ランチタイムのOLもここぞとばかりに桜の木の下に陣取っています。プチ花見でしょうか。

東京では、晴天は今日まで。明日から天気は下り坂で、あさっての土曜には雨との予報。
最高の花見日和は今日かもしれません。
神田明神、千鳥ヶ淵、上野公園、隅田公園、谷中墓地、飛鳥山公園……。
まだ風邪が残って咳き込んでいるものの、雨で散らないうちに今日の帰りにでも散歩をしてみようかとふと思ったりしました。
投稿時間 : 13:29 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
またまた大それたタイトルで記事を書いてみる。
なんとなく思っていることなので決して整理されているわけではない。ただ、こう思うし、こうなるのが世の中の正しい方向のような気がしている。
まず第一に、いま世間で言う「IT」の時代は終わる。
2000年前後からITという言葉がもてはやされ、ITベンチャー・IT企業というようにあたかも「IT」というカテゴリが産業の中にあるかのように語られてきている。だが、経済産業省による産業の分類をいくらみても「IT」などという分類項目はないのだ。
そもそもITという言葉が使われ出した背景には90年代中盤以降のインターネットの普及、そこから勃興してきた数々の企業群がある。別名「ネットベンチャー」と言われている会社群だ。インターネットをつかって商売をすることから「IT」とくくられているが、実際の中身はどうか。楽天などは自社のもつショッピングモールの場所貸しであり、「パルコ」と同じ業態だ(「パルコ」は業種区分的には小売業ではなく不動産業になると聞く)。サイバーエージェントなどは広告屋だ。かつてのライブドアなどは色々やりすぎていて何だか分からなかったりするが、株屋だったり場所貸しだったり、様々な業態が複合したコングロマリットみたいなものだ。
ITという言葉を冠すると斬新なように聞こえる。確かにインターネットを使ったという点では斬新なのだろうが、経済産業省の業態区分に照らし合わせると、何のことはないこれまで他の媒体をつかって行っていた仕事をインターネットに置き換えているだけだったりする(もちろんインターネットだからこそできてきた新しいものがあることは否定しない)。何を好きこのんで「IT」などというとらえどころのない言葉を使う必要があるか、だ。
第2に「IT」が主役になる時代は終わる。
いかにもな感じで「IT」がもてはやされているが、ITっていうのはそもそもは情報技術であり、社会の基盤である。基盤というのは社会を支えるものであり、縁の下の力持ちだ。過剰に表に出るものではない。たとえていえば、製造業に対する産業機械や金型工場みたいなものだ。出版業に対する印刷工場やインク屋みたいなものだ。情報技術というのは効率化を高めるという意味で産業に貢献するが、それ以上ではない(もちろんPCやPCソフトなどコンシューマー向けのものは日の目を見るだろうが)。
そこを勘違いしている輩が多すぎる。コンピュータの歴史というものを分かっていない。コンピュータ屋、IT屋というのは、産業を支えてなんぼ。裏方の仕事なのだ。裏から支え、貢献し、それが社会を変える原動力になっていく中にこそ、楽しみや誇りを見いだせる業種なのだ。道路をつくる人、橋をつくる人、トンネルをほる人、中東からタンカーで原油を運ぶ人と一緒だ。現在は主役になろうという連中があまりにも多すぎる。このいびつな構造は(もうすでに破綻しているとも言えるが)いつかは本当にダメになるだろう。
第3に、IT的コミュニケーションの時代もそろそろ破綻するだろう。
「IT化」の中でコミュニケーションの形態は変わった。
メールやブログにより、時間の壁をこえ、誰もが簡単に発信ができるようになったと言われている。画期的なコミュニケーションの手段だとも言われている。確かに色々な意味で便利になったり、個人が力を持つ時代になってきた。それは認めよう。
しかし、だ。
「コミュニケーション革命」とか言われているが、これは文字によるコミュニケーションという枠の中でしかない非常に狭いものではないのだろうか? ある一定以上の層(学歴も高く、情報機器の操作に慣れている層)にとっては水を得た魚のごとく、キーボードを前にして自分の思ったことをどんどん記述し、発信していくことができるだろう。しかし、文章が書けない人にとってはどうだろう?
文学作品にまで昇華した手紙や日記が数多くあるように、書き言葉によるコミュニケーションというのは昔からすばらしいものである。しかし、人間によるコミュニケーションの中で一番大きなものは昔から直接会った上でのフェイス・トゥー・フェイスではないのだろうか? 目の表情・声の響き・口の動き、そして相手の発する気。五感を(ときには「直感」という第六感までを)総動員して相手と接することで得られるものが、実は一番大きいのではないだろうか?
ITでのコミュニケーションというのは、五感の中でごく限られた部分しか使わない。それがさまざまな誤解をうむ温床ともなる。PCで書いた文章が他人から誤解を受けた経験は誰もがもっていることだろう。
便利だ、便利だ。
すごい、すごい。
画期的だ、画期的だ。
こういう飾り言葉の上で、この10年くらい時代は動いてきた。
そろそろ揺り戻しがくるだろう。
ITの後に何が来るか。結局、ITっていうのは神でもなければ、全てでもない。しょせんは道具にしかすぎないという達観の上で、人間対人間のこれまでの数千年の人類の歴史の延長線上の日常が繰り広げられるのだと思う。ひとに対するサービスはひとにしかできないという、ごく単純な原点に戻るだけだろう。きっと。
投稿時間 : 23:07 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
母親に連れて行けとせがまれ、GW後半から明けにかけてタイのバンコクに行くことが急に決まった。サラリーマン時代の1997年9月にとった現在の10年パスポートの有効期限が今年の9月までとなっており、このままだと旅行時点で有効期間の残が半年を切っているためタイに入国できないので、新しいパスポートをとることにした。インドをはじめとしてマレーシア、韓国、シンガポール、台湾、中国のスタンプが押された思い出のパスポートともお別れで、これから10年は新しいパスポートと付き合うことになる。査証欄に最初に押されるスタンプはタイのものとなる予定だが、その後どんなところに行くことになるのか楽しみだ。
これまでお世話になった10年前取得のパスポートと、今日来たばかりのパスポート。写真を見比べてみると、明らかに違う。20代と30代で違わない方がおかしいのは当然だが、じっくり見比べてみると目の表情が違うのに驚かされた。1993年、学生時代にはじめて海外に行く前にとった5年もののパスポートもあったので見比べてみたところ、これも違う。自分のことながら、こうまで人間の目の表情は変わるのだと感心してしまった。
1993年のパスポートの写真は、自分で言うのも妙だが、目つきが淀んでいる。目の前にどんよりと霞がかかったような感じで、20代前半の若者のくせに覇気が感じられない。自信のなさが前面にあらわれている。友達にはなりたくないタイプだ。
1997年の写真は、目に淀みはなくなっており、仕事を通じて自分の社会での存在意義がはっきりしてきたのが見て取れる。しかし、どこか焦点の定まらない目をしており、まだまだ自信のなさ・そして根拠のなさが顔にあらわれている。
そして、2007年の写真。
不思議なことに3枚の写真を見比べると、一番年長であるにもかかわらずこれがいちばん目が澄んでいるように感じられる。純粋さとかそういうのではなく、どこかすっきりしたような感じで、さらにはこれまであった迷いみたいなものはあまり感じられない。花粉症のせいか目が多少はれているのが難点だが、3枚の中で一番好きだ。
自分で自分を評価するのだから、主観はばりばり入っている。それでも、多少は引いた視線で、ごまかしのきかない「目」の表情のみに絞り、感覚を最大にはたらかせて評価してみた。
かつてアメリカのリンカーン大統領は「40過ぎたら自分の顔に責任をもて」と言ったとか言われている。その人の生き方が顔に全部あらわれてくるということだろう。ことばはいくらでもごまかせるが、顔、その中でも目の表情というのは長い年月の内側からわき起こってくる情動の積み重ねの上でつくりだされるものであり、けっしてごまかしはきかないのだろう。
この10年の変化をみても、少しは責任をもてる顔になってきているのかと、そんなことを思った。
投稿時間 : 22:18 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
どうでもいい話なのだが、先日、32インチの液晶テレビを買った。
「テレビなんか2011年のぎりぎりまで買い換えねーよ、こんちくしょー」などと、ちょうど1年前には思っていたのだが、いとも簡単に翻ってしまうのは優柔不断なためか、はたまた世の中に流されやすいからか。去年11月に肉離れを起こして自宅にひきこもっていたあたりからハイビジョン薄型テレビが欲しいという気持ちがふつふつとわき始め、およそ3ヶ月ぶりの買い物。近所を自転車で走り回りコジマ、ケーズデンキの価格をチェックし、続いてアキバヨドバシ、有楽町ビック。価格交渉の末、価格コムの最安値とほとんど変わらない価格でケーズデンキで手に入れたのだった。配送・設置付き、5年保障込みだから、いい買い物をした。
どうでもいい話なのだが、土曜日にWiiを買った。
今年までデザイン専門学校の学生をやってるえびの卒業展示を見に渋谷に行った帰り、たまたま立ち寄った新宿西口のヨドバシで、たまたま入荷していた。品薄で手に入れるのがDS並に難しいWiiが「緊急入荷」(緊急なわけはなく、あらかじめ予定されているはずなのだ……)と店内放送が流れたのを聞き、1分熟慮した末に列に並んだ。チャンスというのは、去ってから後悔したのでは遅いのだ(笑)。
ワールドカップ前に買ったのは東芝のHDDレコーダーだった。
一昨年の11月、今のように爆発的なブームを呼ぶ直前の時期に買ったのがNintendo DSだった。
テレビ、Wii、HDDレコーダー、DS。
一見何のつながりもなさそうなこれらの機械だが、すべてネットワークに接続するという点で共通している。
何年か前に韓国に行ったときにLGのショールームでインターネット接続機能つきの冷蔵庫を実際に見てみたときには、「こんなもん本当に必要なのか」と首をかしげたものだが、最近ネットワーク接続機能を売り物にして発売されている家電やゲーム機には積極的な理由がある。テレビはデジタルテレビの双方向機能を使うのにネットを利用する(本当に使うかどうかは別にして)。HDDレコーダーは(特に東芝のものは)インターネット経由で録画予約ができるという優れものである。DSは言わずとしれた対戦機能等を盛り込んでいる。Wiiはネット対戦の他に、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン等往年の名作ソフトをネット経由で購入して遊べるという機能がついていたりする。
こうなってくると、忙しいのは配線である。
Wiiなどは無線LAN機能がついているが、無線がつかえない家庭などでは有線で配線しなければならない(Xbox360やPlaystation3などは有線だったりする)。かくして、ただでさえ色々な機器であふれるテレビの周りは、さらにネットワーク配線でごちゃごちゃになるのであった。
この配線の煩雑さ、どうにかならないものだろうか……。
いちいち家の中をLANケーブル引き回すのも面倒だし……。
テレビの周りにネットワーク用のスイッチングハブを置くなどという、数年前では考えられなかったことが現実のものになりつつある。
AV機器の機能が充実してくるのはいいが、その裏でどうしようもないごちゃごちゃとたこ足配線が生じてきている。これを解決できれば儲かるのだろうなどと、どうでもいいことを妄想してみるのであった。
投稿時間 : 13:38 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
「電話はつながる」という常識が危機に瀕している。
噂では聞いていた事態が自分の身にふりかかって、危うさが実感されてきた。
話は金曜の晩に始まる。
深夜に自宅に帰ってみると、ネットにつながらない。機器をみると、赤いランプが点滅している。何度再起動しても症状は変わらない。もしやと思い電話をとってみたところ、不通になっている。思った。「集合装置が壊れている」
NTTのBフレッツをはじめとして光ファイバのサービスにはいろいろなコースが用意されているが、マンションへの引き込みの場合、共用部分に「集合装置」を設置し、そこから構内にはりめぐらされている電話線や電力線をつたって分配されるのが普通だ。建物に引き込んだ光ファイバは複数戸での共用となるため、戸建てに引き込むプランより価格は割安に設定されている。一方で、このプランが危険をはらんでいることは、以前から指摘されていた。
戸建てやオフィスへの引き込みであれば、故障が起こるのは住戸内の機器か局側の機器のいずれかだ。故障かなと思ったとき、自宅の機器の再起動・局側機器の再起動等で済む簡単な症状の場合、深夜であっても受け付け・対処は容易だ。これがマンションプランとなったら、もうひとつ「集合装置」という厄介なものが加わる。これが置かれているのは共用部分で、共用部分の鍵はたいていそのマンションの管理人が持っている。深夜に故障が発生したとしても管理人をたたき起こすわけにもいかず、必然、集合装置のメンテは翌日の朝以降に行われることになる。この「集合装置」の故障にあう確率は雷に打たれる確率よりもどうやら高そうなのは、ネットに散見される様々な書き込みからも認識していた。しかし、自分の身にふりかかるとは……。
故障かなと感じて、NTTの故障受け付けに深夜電話したみた。案の定、故障だった。翌日朝以降の対応となるという。しょうがない。ネットにつながらないので、ふて寝を決め込む。
翌土曜日朝、NTTから電話があったのは朝10時頃だった。管理人さんと連絡がとれなくて、共用部分があけられない。連絡がとれるまで対処ができないという内容だった。そんな馬鹿な……。ネットだけならまだしも、自宅では「ひかり電話」も契約している。電話である。電話だ。黒電話の昔から、電話というのは大事なインフラであり、故障はほとんど起こらないという安心感があった。先日来のNTT東日本・西日本で相次いで起こった大規模なトラブルならまだしも、「管理人がつかまらない」ことが理由に電話が通じないのである。このインフラの脆さは、いったい何なのだ……。
11時過ぎに管理人がつかまったとの連絡あり。その後、外をほっつき歩いていたため、携帯に連絡があったことに気付かずやり過ごす。NTTから何度か連絡があったようだが、留守電に何も入っていなかったため、特に折り返すこともなかった。夕方に自宅に着くと機器のランプは正常に戻っていたので、治ったものと思い、普通にインターネットを使っていた。昨日、日曜の夕方までは何の問題も起きてはいなかった。
そして、昨日。
急にネットが切断された。何だろうと思い、機器の再起動をしてみても症状は変わらない。どうもランプの点滅の仕方からすると、金曜深夜と同じ症状のように思える。案の定、電話はつながらない。またNTTに電話を入れてみた。「金曜と同じ症状」と言ったにもかかわらず、担当者は「金曜の症状って何ですか?」ととぼけたことを言ってくる。何ということだ……。対応の履歴もきちんと残して、検索できるようになっていないのか。きちんと履歴を調べろといったん電話を切ったところ、しばらくして折り返し電話がかかってきた。確かに金曜にそういう症状はみられたと確認。ただ、この症状はマンション共用部の電源系統が原因で、電源系統の故障にともない集合装置に電気が送られていないとのことだった。機器をいじっているときに一時的に復旧したのだが、本格的な復旧は電源部分が治るまで難しいとのことだ。そんな連絡、こちらは受けていなかったのだが……。
NTTの対応が粗末なのはいつものことなので置いておいても、こんな危ういものは「インフラ」にしてもいいのだろうか? 携帯電話があるから気付いてすぐに連絡できたわけだし、自宅で仕事をしているわけではないから自宅の電話・FAXが故障になっても特段不都合はなかったわけだが(ネットの不通は痛いが、オフィスに来ればいいだけだ)、携帯をもたない人・自宅で仕事をしている人の場合はかなりの問題が出てくるのではないだろうか。携帯をもたずひかり電話だけに頼っている家庭で110番などの緊急通報をする場合にはどうすればいいのだろうか?
ひかり電話をはじめとした、いわゆる「IP電話」でも、これまで使っていた電話番号をそのままに移行できるのが普通になっている。これまでの番号で移行できるIP電話サービスを提供する通信事業者が認可される条件として、総務省は110番、119番などの緊急通報につながることという条件を課している。たとえ通常使用時に問題なくても、いざ機器の故障となったときに数日も緊急通報ができないのだとしたら……。それは、果たしてインフラと呼べるのだろうか?
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不二家の事件以来、世間ではちょっとした回収ブームになっている。
もし手元に新聞の朝刊があれば、社会面(テレビ欄をめくってすぐのとこ)の下あたりに出ているお詫び広告を見てみるといい。不二家事件に恐怖したたくさんの会社が、これまでは「このくらいいいだろう」と軽い気持ちで公表もしなかったことを真剣に公表しはじめている。その中でひときわ目をひいたのが、今朝の朝刊に掲載されていたスターバックスのザッハトルテの回収広告だった。
ザッハトルテ。スタバのショウケースの中に並んでいるスイーツのひとつだ。この回収広告の趣旨はこんな感じだ。
・1/20午後5:25頃、スターバックス東武北千住店で消費期限を超過したザッハトルテを店舗の不手際で誤って2個売ってしまった。
・該当商品が手元にあれば、すぐに店舗にもってきてほしい。
この広告をみて、うまく言えないが、何か複雑な気分になった。
2個のザッハトルテのために、ここまでしなければならないのか?
消費期限を「超過」とはいっても、ちょっとした手違いで超過する範囲なんてせいぜい1日くらいだろう。自分の経験からすれば、ちょっとした洋菓子くらいであれば1週間くらい消費期限を過ぎたものでも食べることはできる。味もそれほど変わらないし、腹もこわさない。
とはいえ、もちろんルールはルールだ。「1日くらい大丈夫だろう」と作る側・売る側が破り始めたら、それはそれでいやな社会になる。それでも……。
スターバックスはそれほど悪質なのだろうか?
世の中には、食べ物をあつかっている店で悪質なところなんて山ほどある。たとえば、そのへんのスーパーの総菜売り場。全部が全部とは言わないが、スーパーが出す総菜は、まさに「消費期限切れ」の原料が使われていることも多いときく。店に並んで消費期限がきれた野菜や肉をリサイクルするために「総菜」という形に調理・加工するというのだ。
魔女狩りのような、何かいやな空気がただよっている。
そして、スターバックスのお詫び広告は次の文面でしめくくられていた。
「お客様からご提供いただきます住所・氏名等の個人情報は、本件の目的以外には一切使用しません」
世の中全体が防衛に走るとき、活力は確実にそがれていくだろう。
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本を買った。
正確に言うと、明日届く。
『日本テレビとCIA 発掘された正力ファイル』(有馬哲夫著、新潮社)という本だ。本の内容はアメリカで最近公開された戦後すぐの公文書をもとに、日本テレビの創設者・正力松太郎がCIAのエージェントだったことを解き明かしたもの。戦後史の闇の部分の一部を明かにした本で、昨年末に出版され一部で話題になった本でもある。
先日、ふと思い立ち、この本を買おうとアマゾンを検索した。すると……ないのである。中古はあるが、新品を置いていないのである。アマゾンの通常の対応ならば、たとえ在庫がなかったとしても、取り寄せるはずである。新品が手に入らないということは、内容が内容だけにもしや絶版になったのかと思って、試しに「セブンアンドワイ」で検索してみると……あるではないか。
うーむ。
ネットの某所で、以前にアマゾンから削除された(正確に言うと、アマゾンが新品の取り扱いをしなくなった)本のことを聞いたことがある。その本も、アメリカのやばい部分を暴露した本だった。
うーむ。
もちろん、ただの手違いかもしれない。
しかし、天下のアマゾンがついうっかりミスで、絶版になっていない本を絶版の本と同じ扱いにすることなど、あるだろうか?
うーむ。
やはり、アマゾンとて、しょせんはアメリカ企業なんだということを強く思い知らされた。当初は志の高いベンチャーとしてはじまった会社ではあっても、いまや経済界で占める地位は大きなものとなっている。必然的に政治との結びつきも強くなる。
うーむ。
やはり、アメリカ企業。
注意した方がいい。本屋だからといって、公正中立なことなどありえない。
飛ぶ鳥を落とす勢いで注目度の高いGoogleとて同じことが言えるだろう。
最近では、Googleにより恣意的に検索からはずされる「Google八分」ということも色々と話題になってきている。
みんなが公正中立だと信じている「ネットのインフラ」。
でも、これが実は偏向したものであったら……。
うーむ。
ただの妄想、おとぎ話であってほしいが、あちこちで耳にする色々な噂をからめて考えると、かなり怖い全体像がすけて見えてきたりするのである。
投稿時間 : 01:41 個別ページ表示 | コメント (3) | トラックバック (0)
突然、新語を思いついたので、はやらせることにする。
萌々しい(もえもえしい、形容詞)
「騒々しい」にならって、次のような用例。
「あの子、最近、萌々しくなってきたね。アキバ系の彼氏でもできたのかな?」
「大阪の日本橋は、最近、アキバに負けずに萌々しいよ」
アキバの路地裏で「萌えー」と叫ぶとただの変な人だが、「萌々しい」というと立派な日本語となる。和服を着、雪駄で街を歩きながら、ビラ配りをするメイドさんを見て「なかなか萌々しい風景ですなぁ」などと感にいるのは、まさに日本的風流以外の何者でもない。
これほどのすばらしい言葉なだけに、詩や俳句、短歌にも使える。たとえば、こんな感じ。
「初氷 萌々しさや アキバかな」
人の心を動かす「萌々しい」という単語。
美しい日本語を構成する新たな言葉として、採用してはいかがだろうか?
皆さんがこの言葉を使えば、日本が変わる。そして、世界が変わる。
2008年の新語流行語大賞、そして2009年版の現代用語の基礎知識掲載、ATOK2009の辞書への編入を目標にしていく。
投稿時間 : 02:09 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
不思議なもので、携帯電話は持ち歩かないときに限って、連絡が集中するものです。ぼくにとってはそれが昨日でした。
土日に色々と教えを請うために宝塚に行ったぼくは、日曜の晩には戻ってくるはずでした。しかし、終電が近づくに従って何やら盛り上がってきて、もう少し色々と教えを請う必要を感じてきました。そんなわけで、予定を変更して月曜早朝の新幹線で帰ることにしたのです。
月曜の朝は友人の車で最寄り駅まで送ってもらいました。平日であることもあり、上着のポケットに携帯をしまい、急な連絡にも対応できる体制をとりました。しかし、それが間違いの元。昨日着ていた上着はポケットの作りがゆるく、少しかさのあるものを入れると、すぐに外に出てしまうのです。現に伊丹空港まで迎えに来てもらったときも、車の中で携帯電話を落としていたのです。学習しないというか、何というか……。
携帯がポケットの中にないことに気付いたのは、新大阪でのぞみに乗り込んでしばらくしてからでした。どこにもないし、カバンの中にもない。友人のとこの最寄り駅から新大阪までは朝の7時前後だというのに、立ちっぱなしでした。都会特有のラッシュです。なので、この経路で電話を落とすことなどない。あるとしたら、車の中ってことになります。
東京駅に着くとその足でオフィスに行き、パソコンを立ち上げ、メッセンジャーで友人を呼び出しました。車の中に携帯があるかどうか確認してくれ、と。しばらくして返答がありました。あった、と。ほっと一息です。宅配便で送ってくれ、翌日には到着するということ。一日くらい携帯がなくても大丈夫だろうと高をくくっていました。甘かった……。
ぼくの「捜索願」が出されているということを知ったのは昼過ぎでした。
とあるお客さんのところで、サーバが壊れてしまい、復旧を急いでいるとのこと。朝一番から携帯宛に何度も電話をかけているが、つながらなくて、かなり焦っているとのこと。さっそく電話をかけてみたところ、ほっとした声が聞こえてきました。「生きていたんですね……」。聞くところによると、ぼくが海外に何も予告せずに行ってしまったとか、急な病気で入院してるとか、色々な憶測が飛び交っていたそうです。いやはや、携帯ひとつでここまで心配をかけてしまうとは……。
お客さんのところのトラブルは、多少の難はありながらも、どうにか解決をみそうです。本格的な復旧は明日になります。
そして、本日午後。待望の携帯電話が届きました。
着信履歴を見ると、なんと19件(^^;
オフィスに着いてから自分の携帯宛に電話をかけてみた、ぼくが行った1回の発信を除いては、すべてそのお客さんの関係でした。ちょっといらいらした声での留守電のメッセージも2件ほど……。
いやはや。
心配をかけてかなり悪いことをしたという思いを感じつつ、一方で携帯電話の怖さも感じました。どこにいても、連絡がとれるという携帯電話の安心感が、逆にいざ連絡がとれないときには途方もない不安感につながっていくわけです。携帯に縛られるのはイヤだと思いつつ、お客さんに「携帯に連絡くれれば、いつでもつながりますから」みたいに言っている以上は、携帯を持ち続けるしかない。そんなジレンマを感じます。
小学生のとき、科学技術が大好きでした。
北の丸公園の科学技術館やら大手町の逓信総合博物館やらに、友達と連れ立ってはよく遊びに行ってました。情報や通信の未来像が展示されていて、電話を持ち運ぶことができる時代がやってくるということにわくわくしたものです。電話回線でつながった端末どうしで色々なやりとりができるようになり、家にいながらにして天気予報が見られたり買い物ができたりする電電公社の「キャプテンシステム」などを見たときには、こんなステキなものを使えるようになる日を心待ちにしていました。そして、そんな科学技術にあふれた製品が自分の身の回りにあふれるようになった今、逆に疲れや不安感を感じてしまうのは皮肉なものです。
話はそれましたが、たった1台の携帯電話が巻き起こした小話でした。
投稿時間 : 15:45 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
ロジスティクスに荷物の紛失はつきものだ。
大手運送会社でも、佐○急便やらペ○カン便やらは、運送途中の紛失の噂はよく聞いた。以前に会社勤めをしていたとき、地方営業所にネットワーク接続の設定に行く出張の数日前にあらかじめ機器を送付したことがあった。そのときに使ったのが会社の出入り業者であったペ○カンさんなのだが、見事に荷物を紛失してくれた。先方の代金弁償で終わったのだが、代わりの機器を探すのにえらく苦労した覚えがある。そのときの経験があって、大手であってもこれらの運送会社は基本的に信用していない。一方、そんな変な噂を聞かないのが、業界最大手のクロネコだった。そんなぼくの中のクロネコに対する好イメージが見事なまでにケガされる日が来ようとは、今日までは思いだにしなかった。
発端は本を探していたことだった。
いまマイクロソフトのSQL Server 2005というデータベースを使ったシステム構築をしているのだが、このデータベース、製品がリリースされて日が浅いせいか、日本語の解説書は初心者向けの入門書を除くとろくなものがないのだ。どうしても、これを使って技術的に高度なことをする必要に迫られているのだが、インターネット上の情報も断片的で体系立っていない。そんなときに、友人と話していてふと思った。洋書だったら、あるかもしれない。
大学時代からずっとコンピュータ畑できているので実感しているのだが、コンピュータ関連の情報は圧倒的に英語が充実している。コンピュータというもの自体が英語圏で生まれたものだし、マイクロソフトをはじめとしたアメリカ企業に支配されている業界なだけに当たり前だ。大学時代や、日本語の技術書が充実していなかった10年ほど前までは洋書を買うことも多かったし、日本でネット通販が今ほど充実する前にはアメリカのオンライン書店に注文して船便で送ってもらったこともあった。しかし、最近は日本語の解説書が充実してきたのと、あまり技術的に立ち入ったところにコミットしていなかったのとで、とんとご無沙汰だった。そんなときに、ふと洋書で探せばいいと気付かされたのだ。
探してみると、あるわあるわ。日本語の本が初心者向けのハウトゥーばかりなのに対して、英語の本は根っこから応用まで体系立てて解説してくれているものも多い。まさにこういう本が欲しかったのだ。日本のamazonに在庫のある2冊を購入することに決めた。在庫ありの商品に対しては、関東圏在住の人のみを対象に「お急ぎ便」サービスというのが最近では始まっている。朝8時までならば、注文のときに「お急ぎ便」を選択すれば、300円強の手数料で当日夕方から夜に配達をしてくれるというサービスだ。SQL Server 2005の技術書はいますぐにでも欲しかったので、迷わずにこれを選択した。注文したのは、木曜の午前2時だった。
そして、木曜日。
待てど暮らせど、夕方を過ぎても届かない。amazonのページでヘルプを見てよく確認してみると、「当日夜から翌日にかけてお届けします」と、若干逃げのように受け取れる文面もある。「お急ぎ便」を担当するクロネコヤマトのホームページで荷物の追跡をしてみても、オフィスに最寄りのクロネコの営業所までは、まだ届いていないらしい。なので、この日の晩はあきらめて家に帰ることにする。
翌金曜日。
今日こそは来るだろうと、待つ。しかし、朝の9時を過ぎてクロネコのホームページで荷物の追跡をしてみても、まだ最寄りの営業所に着いているという記述はあらわれない。これは何かが変だと思い、クロネコの発送元(アマゾン支店)に問い合わせの電話を入れる。こちらのクレームにそってしばらく調べてもらった末に返ってきた答えは、予想もしないものだった。
「申し訳ありません。荷物は手で仕分けをしているのですが、当店を出発した形跡はあっても、どこかに到着したという記録が見あたりません。行方不明になってしまったようです。今日一日、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
ここで「待ちます」と返せばいいものを、この技術書の入手が急を要するのもあって、「キャンセルで、返金でお願いします」と、つい口走ってしまった。
池袋のジュンク堂あたりへ行けばマイナーな洋書でも手に入るだろうと高をくくっていたのだが、ジュンク堂のホームページで検索しても、ヒットしてこない。もしかしたら、実店舗型の書店では入手は困難かもしれない。やはりマイナーな本はアマゾンに頼るしかないかもしれないと、気を取り直してもう一度、クロネコに電話をして先ほどのキャンセルを取り消すと伝える。朝の10時過ぎのことだ。
それから夕方まで待っても、事態はいっこうに進展しない。何の連絡もないので、「どないなってんねん?」と電話を入れたところ、またもや予想外の答えが返ってきた。
「ずっと探したのですが、どうしても見つかりません。同じものをこちらで用意させていただくということでよろしいでしょうか?」
明日には何らかの返答をもらえることになっている。
果たして同じ商品を用意することができるか? あまりにもマイナーな商品であるため、現在、ぼくが注文したのと同じ本は入荷まで1週間となっている(在庫が1冊しかなかったのかもしれない)。同じものを調達してくれるにしても、それが1週間もかかったのではあまり意味がない。本当に今すぐに必要なのだ。
いずれにせよ、クロネコに対する信頼というのを、今回の件で失ってしまった。
誠実に対応してくれているのはうれしいが、すぐに必要だから「お急ぎ便」を選んだのにこの状態は何だという気持ちはおさえられない。明日までは様子をみてみる。
投稿時間 : 00:44 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
今朝病院に行ったら、ようやくギブスをはずしてもらえた(昨日一日は自主的にはずしてたけど……)。
足を引きずりながら歩いていいという許可を得たので、うれしくなって、さっそくオフィスに向かうことにした。とはいっても、右足はまだ安定していないため、一本の松葉杖を補助にしての歩きだが。
家から十分弱の道のりを駅まで向かうのが面倒なので、家から徒歩1分のところにあるバス停に向かう。このバス停からは田端の駅を通るバスが出ているので、まずここで楽ができるのだ。意気込んで家を出たものの、たった徒歩1分のバス停がえらく遠く感じた。これが片足を引きずって歩く(正確に描写すると、右足はかかとをついてひざを曲げない状態で歩く)つらさなのだろうか。ふだんは何ともない道のりが異様に長く感じた。
バスに乗り込むと、優先席が空いていた。普段はけっして座ることもないが、ちょっと照れくささを感じつつ座らせてもらう。ほぼ片足に負担をかけている状態のため、座るとものすごく楽だ。道程はちょっとだけ渋滞していた。15分ほどで田端の駅に着く。田端から秋葉原までは京浜東北線の快速。途中上野駅にとまっただけで、あっという間に駅に着く。
さて、ここからが関門だ。
この10日くらいというもの、そんなに長い距離を自分の足では歩いていない。病院は自宅から目と鼻の先で、健康なときであれば徒歩1分以内に着く距離だ。自宅が大通りに面しており、オフィスも大通り沿いにあるため、タクシーでオフィスに移動するときも、そんなに歩くことはない。両手がふさがっているため、買い物かごを持つこともできず、買い物に出かけることもない。ここへきていきなり、健康なときにでも8分近くかかる秋葉原駅からオフィスまでの道のりを歩いていくのは、ちょっとした小旅行に出かける気分だ。ふだんとは違った目でアキバを堪能できるというワクワク感もありつつ、足をいためずに着くことができるのかという不安もある。まあ、とりあえず行ってみることにする。
まずアキバの駅に着いてからホームを出るまでが時間がかかる。ホームの中央のエスカレーターにたどり着くまでが2分、エスカレーターを降り改札をくぐりぬけるまでが3分といったところか。そして、改札を出てからが真の困難が待っている。
駅前の飲食ビル・ダイビルのオープンテラス形式のカフェで昼食を食べながら談笑するサラリーマンやOLを尻目に、ひたすら足をひきずりながら歩を進める。普段とは比較にならないくらいに不自由でものすごく時間がかかるのを感じる。5分くらいして、アキバの目抜き通り・中央通りと明神通りの交差点にさしかかる。健康なときでさえごみごみしていて、人混みがいやになる交差点だ。片足を引きずったままで、人混みにかき回されることなく歩くことができるかどうか。そんな不安をよそに、実際にやってみるとできるもんだ。道をゆずってくれる人の優しさを、こういうときにはつくづく感じる。ただ、片道3車線ある中央通りを渡るのは、ちょっと大変だった。道幅が広いわりには信号が青になっている時間が短いのだ。健康なときには気付かないのだが、いざ足を引きずってみると、道を2/3くらい渡ったところで歩行者用信号が点滅をはじめる。これは、むちゃくちゃ怖い。アキバにあまり老人の姿はないが、足腰の弱ったおじいちゃん・おばあちゃんだと、この信号は渡りきれないと思う。合理的に交通をさばくために信号の時間感覚は調整されているのだろうが、あまりにも健常者の視点ばかりで物事が進められているのではないかと感じた。
魔の交差点(?)を渡ってからは、メイドカフェとPCパーツ店のひしめくエリアを抜け、オフィスだ。ふだんはすたすたと歩く道のりが、のろのろとしか行けない。結局、8分の道のりが25分もかかってしまった。ふぅ。
片道2500円のタクシー代が浮くのはうれしいのだが、こうも疲れるのも考えものだ。平日昼間のすいている時間だったからよかったものの、果たして今日の帰りはどうやって帰ろうと今から案じているのであった。
投稿時間 : 13:13 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
オフィスで仕事をしようと意気込んで昼過ぎに家を出た。
オフィスに着いた。
しかし……。
カギがない。
どこを探してもカギがない。
仕方なく引き返すことにした。
家に着く。
カバンが置いてあった場所の下にパスケースを発見。
オフィスのカードキーはこの中にある。
先日、ネットバンキングで家賃を払うに際し、パスケースをカバンから出したまま戻す場所を間違えたらしい。
自業自得。
今日の午後はついてない。
仕方がないので、お茶でも飲みながら家でやることをやろう。
足はというと、どうにか引きずりながら歩けるようにはなった。
でも、まだ自由とはほど遠く松葉杖が手放せない。
10日におよぶ固定の果てに筋肉が固くなってしまっているらしい。
医者からはストレッチを言われた。
たった10日、固定しただけで固まる筋肉。
人体ってのは、よくできている。
明日には固定がはずれて、金曜には松葉杖もはずれると楽観しているのだが、どうなるだろう……。
金曜はPS3の発売の日(買わないけど)。
そして、ある筋からは金曜に日本国内でテロが起こるかもしれないので注意しろという情報も流れている。
真偽のほどは分からないが……。
土曜には高校時代の旧友に飲みに誘われている。ぜひとも行きたいのだが、動けるかどうか。
医者の見積では、完治まであと一週間。
きちんと、リハビリします……。
投稿時間 : 14:44 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
月末とあって道は混んでいた。
普段の昼間ならば、タクシーで2500円かかるかかからないかだが、10月の末日とあって2800円。深夜のすいてる道を3割増で走ったときの料金に匹敵する。
末日はみんな忙しい。
ぼくも請求書発行やら法人税の支払いやらがあるし、今日届く予定の荷物(うち1つは、Windows Vista検証用に買ったDELLの高速PC!)を受け取らねばならない。ついでに荷物の発送も1件ある。てなわけで、オフィスに来た。

記念に写真を撮る。
ギブスで半固定した足と太鼓(ジャンベ)と松葉杖。
オフィス内の移動はキャスター付きのイスで行える。快適だが、なにげに疲れる (^^;
投稿時間 : 13:15 個別ページ表示 | コメント (2) | トラックバック (0)
今朝、三日ぶりに病院に行ったら、リハビリを指示された。
患部をあたためながら筋肉に電気の刺激を加えることで、元に戻すのを加速するらしい。完治まであと2週間。1日置きにリハビリ。1週間後に診察ということだ。
同時に、あと10日くらいは松葉杖が必要だとも言われた。
10日……。1週間もすれば大丈夫になるだろうと思っていたが、読みが甘かった。買い物にも出られず、出勤もままならない日をこれだけ続けるというのも、ちょっと苦痛だ。仕方ない。あきらめるしかない。
食糧は買いだめしてある。米がなくなりそうだが、ネット通販で買えば翌日には届く。
昨日タクシーでオフィスに行って、仕事に必要な資料はすべて取ってきた。オフィスの自分のPCに自宅から侵入して操作できるようにもしておいた。急な用事で客先に呼び出される以外は、どうにかこなせるはずだ。
この数日、ケガ人をしてみて、外食もコンビニ弁当も食えないので、自然に3食とも自炊をするようになっている。自炊とはいっても米だけ炊いて、おかずは缶詰やレトルト、それに多少の生野菜や果物といった粗食だ。ここ数週間、お客さんと遅くまで飲んだりということが続いていた(先々週は平日5日のうち4日も夜遅くまでの飲みだった)ので、体をリフレッシュさせるにはいいかもしれないと思い始めている。おいしいものを食べるのを続けてきたので、しばらくはこの生活がいい。
肉離れが、別の意味での肉離れを促しているのかもしれない(笑)。
投稿時間 : 10:30 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
松葉杖をつく身になり、買い物も不自由になってしまった。
まず最初に思ったのは、食糧をどうやって確保するかだ。
ピザの宅配であれば、2000円以上の注文で1000円割引のチケットを以前に新聞屋からもらった。弁当宅配や寿司宅配のチラシもよく家に入っている。でも、これから数日、そのローテーションで過ごすのか?
片足でも自炊はできるのだが、あまり手のかかるものは作れない。一方、冷蔵庫の中を見ても、ろくな材料がない。
頭を抱えていたときにネットでデリバリーについて調べてみたところ、デリバリー風俗のサイトにまじって、西友がデリバリーをやっているという情報を見つけた。生鮮食品から日用品まで一通り手に入るという。おお、これはすごい。
さっそくアクセスしてみた。
「西友ネットショッピング」のサイトだ。このサイトのうれしいのは、都内であれば買った品物を即日に配達してくれる点だ。
品揃えは当然実際のスーパーよりは見劣りするが、コンビニに比べると(弁当類を除き)充実しているかもしれない。さっそく買い物を開始する。
ペットボトル入りの水1箱
納豆2パック
ソーセージ
豆乳
グレープフルーツジュース
バナナ
各種レトルト食品
等々。
納豆1パックが150円するなど、スーパーの特売と比べたら安くはないが、コンビニくらいの値段ではある。送料500円かかるが、別の見方をすればたった500円で即日に届けてくれるのだ。なにせ、背に腹は代えられない。
米の在庫はあるから、炊けばいい。
米をといで炊飯器にかけるくらいは、片足でもわけはない。おかずは今日から4~5日分は確保できた。
これで安心して、ケガ人らしい生活を送ることができる (^^)
しかし、便利な世の中になったもんだ。
未婚の男女が増えるわけだ(苦笑)。
投稿時間 : 14:42 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
足にギブスがはまった。
取り外し可能なやつだけど……。
診断は「ひどい肉離れ」。
全治3週間。
松葉杖。
………。
……。
月末の請求処理をしにオフィスに行って、必要な資料だけオフィスから持ってきて、来週はずっと自宅で仕事をしようかなと思い始めたのだった。
あ、そうだ。TSUTYAで借りたDVDがある。
……。
……。
まあ、今日は休みます。
投稿時間 : 10:21 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
夕方、客先に急いでいた。
日比谷線の秋葉原駅。改札をくぐったところでホームに電車がすべりこんできた。ちょっと急いでいたので、間に合うかと思い、階段をかけおりる。電車の扉まであと5歩くらいのところへ来て、右足のふくらはぎに鈍器で殴られたような痛みを感じた。後ろを振り返っても何もない。ようやく気付いた。ふくらはぎが内面からどうにかなったらしい。
目の前で電車を見送りながら、駅のホームのベンチに腰を下ろし、しばし自分の足を観察した。いちおう立つことはできる。激痛はない。だとしたら、肉離れか。
茅場町で電車を降り、客先へは足を引きずりながら行った。ふだんならばものの2分もあれば着く距離が、5分以上かかった。足が不自由というのは、これほどきついものなのか……。1時間ほどの用事をすませている間に、痛みが少しずつ顕在化し、さっきまでは何とか歩けていたのがいよいよ不自由になる。それでも何とか足を引きずって会社の外まで出、そこでタクシーを拾い家まで帰ってきた。
ネットで肉離れを検索してみたところ、安静にし、冷却し、圧迫するのが効果的だと書いてあった。たまたまあった冷却用シートをはりつけ、これもたまたまあった包帯をまく。これでどうにかなるだろう。段々と立つのもつらくなってくる。明日の朝、大丈夫だろうかと、ふと不安を感じる。
幸いにも、家のすぐ目の前が整形外科だ。ネットで調べてみると、プロスキーヤーたちのドクターも勤めたことがある先生らしい。明日の朝一で行こう。
ちょっとしたダッシュで肉離れを起こしてしまうなんて、情けない。先週末に展示会に行ったりして、歩き回ったのがたたったのか。あるいは本当に運動不足なのか。あまり無理もできないなぁと、ふと悲しくなる秋の夕べの出来事だった。
投稿時間 : 21:50 個別ページ表示 | コメント (4) | トラックバック (0)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061024-00000001-yom-pol
裏でどういうやりとりがあったのか分からないが、とりあえずラッキー♪
一方で教育基本法改正に注力するとか言ってるが、これも「なんだかなー」って気分になる。
国旗国歌法で日の丸・君が代を半強制扱いにするだけならまだしも、とうとう愛国心までもを法律で規定しようとするようだ。そもそも愛する心というのは、自分の外にあるわけではない。自分の中にしかないものだ。それを外から指図するなんて、重大な過ちを犯そうとしているような気がしてならない。
もし今、日本人に日本が愛されていないのだとしたら、それはなぜなのか本気で考える必要があるだろう。
欧米にばかり目を向けるようになり日本の心を忘れた原点は明治維新にある。戦前・戦後の断絶ばかりが話題になるが、明治・江戸の断絶の深さはそれをはるかに越えているのではないだろうか。ここにどのような思惑があり、どのような利権の構造があり、どのようにして「近代日本」ができてきたのか。それをまっとうに評価することなくして、真の愛国心など生まれようがないと思っている。
投稿時間 : 09:58 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
22日23時現在、衆院補選で2選挙区ともに自民の候補者が当選したようだ。
北朝鮮の金正日の核爆発級の熱烈な応援のおかげだろうか。
実際の支持率は相変わらず低いものの(マスコミ発表の支持率は相変わらず高いものの)、メディアに持ち上げられて安倍政権の基盤はさらに固まるだろう。来年の参院選は大敗ではないかと事前の予想に反して、そしてメディアのさらなる盛り上げも加わって、安倍政権は勢いづくかもしれない。
まあ、そこまではいい。
問題は、24日(あさって)に自民・公明の与党が共謀罪を提出し、その日のうちに強行採決するのではないかというかなり確度の高い噂だ。確認しただけでも、
アクセスジャーナル(有料)
きくちゆみのブログ
で書かれている。
昨年秋の審議入りのときにはメディアも盛り上がり、強行採決を防ぐことができたが、今回は衆院補選後のどたばたに乗じて強行採決してしまおうという腹づもりなのだろう。戦前の治安維持法を彷彿とさせるものであり、本当にやばいかもしれない。
中国、韓国、北朝鮮、アメリカ。それぞれが思惑をもって動いていて、これからどっちに転ぶのかまったく読めていないのだが、いずれにせよ北朝鮮や政治のどたばたの中でなし崩し的に言論の封じ込めが進むのは、避けなければならない。
投稿時間 : 23:08 個別ページ表示 | コメント (2) | トラックバック (0)
【ソウル佐藤千矢子】安倍晋三首相は9日、日韓首脳会談後に記者会見し、北朝鮮が核実験を行ったと発表したことについて「我々はより危険な新しい核の時代に入ることになる」としたうえで、「すべて北朝鮮に責任がある。日本独自の厳格な措置についても検討を直ちにはじめ、速やかに措置していく」と述べ、北朝鮮への単独制裁に乗り出す意向を明らかにした。また、「国連で厳しい措置を含む決議案の速やかな採択に向け努力していく」と語り、国連安全保障理事会で国連憲章7章に基づく制裁決議案の採択を目指す考えも表明した。
「北朝鮮への単独制裁」
来ました、安倍ちゃん。まだ国際世論の動向も定まっていないうちに、単独制裁。宗主国・アメリカの顔色もうかがわず、独走です。今回の意思決定の早さは尋常じゃない。きっと、すでに予行演習があったのでしょう。
メディアの報道も手伝って、1週間くらいで反北朝鮮の世論が完成するでしょう。そして、その先は……。
今年・来年くらいで相次いで「危機」が作られていくんだろうな……。
ところで、日本国内、CNN、朝鮮日報、BBCあたりで感情的な報道が多い中、アルジャジーラの報道はおもしろい。
韓国・中国・ロシアなどの動向を報ずるほか、イランの状況も報道している。
また、これまでの北朝鮮の核開発をめぐる歴史を年表形式で紹介したり、客観的な視点で北朝鮮の開発している核の能力について検証したりもしている。
特に兵器の性能の「客観的な検証」というのは軍事を語るときにはものすごく大事なもので、これがなければただの感情論で終わってしまうわけだ。
日本のメディアにも、このくらいの中立性がほしい。電通にすべてを握られてる以上は、期待するのも無理だろうが……。
投稿時間 : 23:25 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
この段階で過剰に反応するのは、危険だ。
裏でどんな意図がうずまいているのか、分からない。
■街の声
「北朝鮮許せない」
「経済制裁が必要だ」
こんな意見ばかりが、放映されている。
テレビは、都合いいように編集する。
■安倍政権の後押し
今後の展開を見なければ分からないが、結果として誕生したばかりの安倍政権の後押しになる可能性がある。日本の世論が沸騰すれば、日本も対抗して軍事力強化・核武装という話にもなってくるだろう。
思うがままだ。
■共和党ブッシュ政権の後押し?
11月に米中間選挙がある。
今のところ民主党が優勢であり、民主党が上下院で過半数をとったときにブッシュが弾劾されるというシナリオもあるという。アメリカの政権は代々危機をあおって支持率を上げてきている。
北朝鮮核実験が、どこまで「意外な展開」で、またどこまで「暗黙の了解」なのか。
テレビ・新聞の裏まで見ていく必要があると思う。
投稿時間 : 16:55 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日、大雨の中、オフィスに行ったら先客がいた。
どうやらテレビを見ているようだ。ちょうど時間は国会中継。音がもれてくるので、聞くとはなしに聞いていた。
質問者は民主党の枝野幸男で、サラ金のグレーゾーン金利について安倍首相に問いただしているところだった。はたから聞いていても、枝野さんの明晰な語り口は頼もしい。それに比べて、しどろもどろとする安倍総理の何ともみっともないこと。自民党が「グレーゾーン金利」を残したままサラ金を優遇しようとする姿勢に対する痛烈なカウンターパンチ。こういう論議がきちんと行われているのだとしたら、国会も捨てたものじゃない。
ところが、嵐の中、帰宅して昨夜のニュース番組をみても、枝野さんの質問の場面はまったく報道されていない。代わって全面的に取り上げられていたのが、田中真紀子vs安倍晋三の場面だ。さまざまな言葉をつかって揶揄し、安倍の無知や哲学のなさをさらけだそうとする田中真紀子。策略にまんまと引っかかり、しどろもどろになる安倍。テレビ的には確かにおもしろい場面だが、社会的な必要性からいったらサラ金問題ではないだろうか。幾重にも債務をしょって、最終的にはヤミ金に手を出し、自分の命と引き替えに生命保険で返却するしかなくなっている人たちがどれだけ多いことか。それが野放しされているのだ。
なぜ田中真紀子のみがテレビで大きく取り上げられるのか。その理由は知れている。スポンサーの意向だ。最近のテレビを見ていると分かるが、サラ金のCMがいかに多いことか。チワワの出てくるアイフルのCMは見なくなったが、レイクなりアコムなりプロミスなりのCMを目にしない日はない。それだけテレビ広告のサラ金依存度は高まっている。『下流喰い』(ちくま新書)で須田慎一郎さんも書いてるが、サラ金業界→大手広告代理店経由で圧力がかかり、業界に都合の悪い報道は大手新聞・テレビではなされないようになっているという。要するに、報道はコントロールされているのだ。
ブログを見ていたら、このことを取り上げているものもあった。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061007#1160150136
実際の国会の論戦を目にして、そしてその晩のニュース番組を目にすると、ニュースがいかにして情報を取捨選択しているかが見えてくる。どうやら、大手広告代理店の意図が反映される構図になっているようだ。
最近、急激に増えてきているのはサラ金ともう一つ外資系保険会社がある。サラ金業界の意図がこのように報道に反映されるのであれば、では外資系保険会社の意図がどのように報道に反映されるのか。どのような情報が意図的に報道からはずされ、どのような情報が逆に意図的に流されるのか。すでに終わってしまった郵政民営化の攻防の中に、実はそのような巧みな「意図」が入り込んでいたのかもしれない。
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先日、「News 23」を見ていたら、銀座の路地裏の特集をやっていた。華やかな銀座にも細い路地がたくさんあり、そのところどころに本当に小さな神社があったりする。昼の銀座、そして夜の銀座で働く人たちが、たびたびお参りしているという。街角に神社があり、地蔵があり、なんとはなしにそれらを拝むのが、この日本に密かに息づいた神との関わりだと思う。しかし、自分のことしか顧みないような犯罪が多発するのを見るのにつけ、そんなささやかな伝統も少しずつ崩れていくのかというような気がしてならない。
そんなことを考えているときに、ふと本屋で手にとったのが「神殺しの日本 反時代的密語」(梅原猛著、朝日新聞社)であった。「京都学派」の伝統を引き継ぎ、日本という国の哲学を考え続けてきた著者の最近のエッセイ集である。その中で著者はこんなことを書いている。
(ニーチェの言葉を引用して、西洋の近代は神の死と考えたという論理を展開した後で)最近日本でも、動機が金銭の強奪や嫉妬、怨恨ではなく、殺人のための殺人というべきものが起こっている。私は若き日、ニーチェやドストエフスキーのこの思想に深く影響されたが、日本における神殺しについては何らの認識ももっていなかった。しかし日本のことを研究すること五十年にして、最近やっと日本における神殺しの実態を理解することができるようになった。
近代日本において神殺しは二度にわたって行われた。近代日本が最初にとった宗教政策、廃仏毀釈が一度目の神殺しであった。(略)
そこで殺されたのが仏ばかりではない。神もまた殺されたのである。外来の仏と土着の神を共存させたのは主として修験道であるが、この修験道が廃仏毀釈によって禁止され、何万といた修験者が職を失った。この従来の日本を支配した神仏を完全に否定することは、近代日本をつくるために必要欠くべかざることと思われたからである。福沢諭吉のような啓蒙思想家などもこの神々の殺害を手助けしていたことは否定できない。
(そして、神殺しのあとに唯一神=現人神がおかれたと論を展開した後で)
この現人神への信仰にもとづいて作られたのが、教育勅語という新しい道徳であった。教育勅語にはかつての仏教や神道の道徳はほとんど含まれず、現人神への信仰のもとに日本は西洋諸国に追いつき、その挙げ句、アメリカ、イギリスという世界の強国に対してあえて戦争を仕掛け、手痛い敗戦を経験した。
この敗戦によって新しい神道も否定された。現人神そのものが、実は自分は神ではなく人間であると宣言されたことによって、この神も死んだ。(略)
このように考えると、日本は西洋よりもっと徹底的に神仏の殺害を行ったことになる。この神仏の殺害の報いは今徐々に表れているが、以後百年、二百年経つと決定的になるであろう。道徳を失っているのは動機なき殺人を行う青少年のみではない。政治家も官僚も学者も宗教心をさらさらもたず、道徳すらほとんど失いかけているのである。(略)
最近、そのような道徳の崩壊を憂えて、日本の伝統である教育勅語に帰れという声が高まっている。しかし教育勅語はあの第一の神の殺害の後に作られたもので、伝統精神の上ではなくむしろ伝統の破壊の精神の上に立っている。私は、小泉八雲が口をきわめて礼賛した日本人の精神の美しさを取り戻すには、第一の神の殺害以前の日本人の道徳を取り戻さねばならないと思う。
引用がかなり長くなった。
著者の言っていることには、まったくもって共感する。
さらに深めて言うならば、宗教という視点のみではなく、「精神の破壊」という点からすると、現代は第3の精神の破壊が進んでいるのだと思う。それは、徹底した自国文化への自信の喪失と徹底したアメリカ化なのだと思う。戦後一貫して仕組まれてきたものが、バブル崩壊とともに一気に爆発した。
ぼくたちも破壊されたまま、そのままでいいとは誰も思っていない。だからこそ、日本人らしさを取り戻そうという議論がここ10年盛んになされるようになっている。しかし、その議論のほとんどが「道徳性を取り戻す」=戦前回帰的な話になることに、ぼくはずっと違和感を覚えてきた。梅原さんのこの文を読んで、その理由が分かったような気がする。「戦前」とは、「破壊後」の時代だったのだ。
八百万の神の伝統とか、美しい国とかいうが、それを取り戻すには「破壊後」の「戦前」の思想・価値観を見るだけではダメだということだ。教育勅語は確かに規律や秩序という意味では素晴らしいものなのだろうが、それは「破壊後」の価値観でしかない。だとすると、もしかしたらぼくたちが立ち返るべき、一番現在に近い思想は新渡戸稲造の「武士道」あたりなのではないかと思う。「武士道」の中で新渡戸は、日本の伝統的な道徳の規範は武士道にあると主張しているし、去年の年末あたりから話題になった本「国家の品格」でも、日本という国の品格を取り戻すのは武士道回帰だと言っている。
武士道の時代。
江戸時代以前。
もしかしたら、この時代に今の混迷を解決するヒントがあるのかもしれない。鎖国をしている環境でありながらも、日本の国は豊かにやってきた。GDPという概念が当時あったなら、その数値は決して産業革命以前の欧米にひけをとることはなかっただろうし、学問のレベルも非常に高かった。数学などは世界第一級のものがあったし、先物取引が世界で最初にはじまったのは大阪の米市場だというのは有名な話だ。江戸の街は世界最大の人口を有しており、それに耐えるだけの都市システムがあった。ゴミは捨てられず、普通にリサイクルされていたという。教育水準も高く、人々の学ぶ意欲は旺盛で、その後の日本の発展を支えた礎はすべてこの時代にあったといってもよい。
いま必要なのは、教育勅語ではなく、江戸のよかったものを積極的に掘り起こしていく作業であろう。
最近巷で言われる「ロハス」というのも、無意識の中で精神的に江戸回帰をしているのかもしれない。そして、それは八百万の神と普通に暮らしてきた、本当の意味での「美しい国」を取り戻すことなのだと思う。
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とある客先の担当者。
去年から続けてきたプライバシーマーク関連の案件が大詰めを迎え、後は審査の結果がおりるのを待つだけという段階。そんな今日、メールがあった。「書類は昨日全部提出しました。6日から11日まで出張で中国に行ってきます」。中国か。いいなぁ……。
とある仕事仲間。
近々打ち合わせをしたいとメールを入れたところ、「明日から11日までウズベキスタンに行っているので、帰ってきてから打ち合わせね」とのこと。ウズベキスタンか。いいなぁ、おい。
そういえば、韓国人の友人が、ウズベキスタンは人がよくて、女の人がキレイだと言っていたのを思い出した。
ふと、旅に出ようと思った。
しかし……。
仕事が……。
12月に今の仕事が一段落してからかなぁ。
あるいは、1月の正月が明けて航空券の料金がガクッと下がったくらいかなぁ。
5年ぶりにマレーシアに行くか、はたまたカンボジアとか行ってみるか。
はたまた台湾グルメツアーか。
インドでも放浪して、世を捨てるか。
これから考えよう。
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今日(10月2日)の朝日新聞朝刊をみて、思わずのけぞってしまった。
この言論統制の時代にあって、「安倍さん、本当に憲法変えちゃうんですか」という大見出しの一面広告があった。週刊プレイボーイの広告。爆笑問題の太田光と中沢新一がならんで写っていて、週刊プレイボーイのロゴの真下には『憲法